福生の人物
石川和吉(いしかわわきち)
ー 熊川村の開発に尽力 ー
石川和吉は文化10年(1813)、上川原村(昭島市)の指田家に生まれ、天保6年(1835)に熊川村の名主石川家の養子となりました。和吉は文久3年(1863)、多摩川対岸の小川村森田家から酒造蔵を借用して、酒造業を開始します。
このころ多摩川原での米の収穫は安定していましたが、村は台地上にあり、村民の飲料水や灌漑、また精米や製糸業のための水車動力源の確保が急務でした。これを解決するため和吉が中心となり、玉川上水からの分水を計画します。東京府に分水願を申請し、許可を得たのは明治19年(1886)のことでしたが、和吉は分水の完成を見ることなくこの世を去り、事業は次の千代蔵の代に引き継がれました。
分水が完成したのは明治23年(1890)のことです。熊川村の飲料水や水車の動力源、また灌漑用水として近代熊川の発展を支えたこの分水が、現在ものこる熊川分水です。