福生の人物
森田美知子(もりたみちこ)
ー 時代を翔んだ女性 ー
森田美知子は慶応2年(1866)、熊川村の森田家に生まれました。父浪吉、母サクの一人娘で、始めの名はツヤといいました。浪吉は時代を見極めるのにすぐれた事業家で、明治6年(1873)、東京府で最初の製糸所(森田製糸場)を始めます。
このような父と文明開化の影響を受け、好奇心と向学心に燃えた美知子は、19歳で東京に遊学し、和学と英語を学びます。当時は鹿鳴館時代といわれ、華やかなファッションは、若者の憧れでした。美知子と改名したのもこの頃です。そして遊学中に知り合った奥貫退蔵と学生結婚して郷里熊川に戻り、二人で家業の製糸業経営に励みました。
その後美知子は5人の子どもを育てながら、森田製糸場の経営に尽力します。しかし養蚕業に陰りが見えてきた大正15年(1926)、61歳でこの世を去りました。現在、美知子が遺した明治・大正期の和服資料が、福生市有形民俗文化財として登録されています。