福生の人物

森田友昇(もりたゆうしょう) −福生出身の俳諧師−

 俳諧は江戸時代から明治期にかけて庶民の間で流行しました。福生を含む多摩地域においても、19世紀にはいると俳諧が普及発展していきます。このような時代背景の中、森田友昇は文政12年(1829)に福生村の森田家の次男として誕生しました。

 福生村で学問と俳諧の基礎を身につけた友昇は、江戸の俳諧師である志倉西馬(ば)に入門し、俳諧を学びます。その後横浜に出て海産物と生糸を扱う商人として成功するかたわら、俳諧師としても活躍しました。そして明治12年(1879)、松尾芭蕉の系譜につながる「松原庵」の庵号を継承し、松原庵四世を襲名しました。

 多摩と横浜を中心にして俳諧活動を行なっていた森田友昇は、『横浜地名案内』を刊行するなど、明治期の俳壇にその名を残しましたが、明治18年(1885)に57歳でこの世を去りました。その墓は横浜市保土ヶ谷区の浄土宗見光寺にあります。

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