福生の人物

高崎治平(たかさきじへい) −福生の養蚕業発展に尽力−

 明治10年代、日本の養蚕業は生糸の輸出が増加したことで、全国的に発展していきます。

 安政2年(1855)、福生村に生まれた高崎治平は、福生の経済発展は養蚕業の振興しかないと考え、当時養蚕業の先進地域であった長野や群馬などを視察し、その技術を取り入れ、養種の改良に取り組んでいきます。福生村に「共盛組」という組織を作り、改良と研究を重ねた自家製造の新しい蚕種を希望者に無料配布して飼育させ、福生の多摩川沿岸の荒地を開墾し、桑園を造成しました。また大正15年(1926)には、養蚕業改良を目的として明治23年(1890)に創設された「成進社」の社長となり、西多摩の養蚕業発展に尽力します。高崎のこれまでの功績に対し、緑綬褒章が授与されたのは、明治43年(1910)12月のことです。

 その後、昭和11年(1936)、高崎治平の偉業を刻み、業績を称える記念碑が福生神明社北側(福生1300番地)に建てられました。この碑は現在、福生市登録有形文化財となっています。

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