福生の人物

田澤正忠(たざわまさただ)
−内出を知行した旗本(はたもと)田澤氏の祖−

 睦橋通りの北側に真福寺というお寺があります。本堂の裏手に大きな墓塔があり、福生市の史跡として指定されています。ここは江戸時代の旗本田澤氏の墓所で、四代目の正忠が葬られています。

 戦国時代の田澤氏は甲州の武田氏の家臣で、姓は武田と称していました。後に二代目の正昌が丹澤と姓を改め、そして正忠が田澤に改めたと伝えられています。正忠は武田信玄・勝頼親子に仕えていましたが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡した後は徳川家康の家臣となりました。天正12年、徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧長久手の戦いでは、徳川方として戦功をあげています。正忠は天正18年に家康が関東に入国した際、熊川に400石の知行地を賜りました。現在の内出地区がその知行地です。

 田澤正忠がこの世を去ったのは元和7年(1621)7月22日のことでした。そしてこの後、江戸時代の内出地区は、正忠の子孫が代々知行していくこととなります。

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