福生の歴史

原始古代の福生

 現在人口6万人を越す福生市は、西多摩の玄関口として、そして東京のベッドタウンとして発展してきました。 その歴史は縄文時代に始まります。市内の不動尊遺跡(約8000年前)や長沢遺跡(約4000年前)から土器や住居跡が発見されています。ここで生活していた人々が福生に来た最初の人々でしょう。

 福生消防署付近を中心とした長沢遺跡は、市内最大の縄文時代中期の集落遺跡で、これまでの発掘調査で合計41軒の住居跡が見つかっています。段丘の湧水と多摩川の恵み、そして武蔵野の自然環境など縄文人たちの生活に適した環境だったのでしょう。美しい文様をした数々の縄文土器も出土し、そこには高度な原始文化がありました。出土した土器四点が、福生市指定文化財となっています。

 しかしながら縄文時代中期以降、人々の生活の痕跡は明確には見つかっていません。牛浜地区などに縄文時代後期の痕跡がわずかに見られるのみです。この時代、気候や環境の変化によって福生市域は縄文人たちにとって住みにくい土地となったのでしょうか。

 この後の弥生時代・古墳時代を経て平安時代に至るまでの間、人々の生活の痕跡は確認されていません。 これはこの地域が耕作に適していなかったこと、有力な支配者が近隣に存在しなかったことなどが考えられています。

  • 長沢遺跡第7次調査 長沢遺跡第7次調査 7次調査では、福生第1小学校の校庭で発掘調査を行ない、竪穴式住居が1軒確認されました。 大きい写真を見る
  • 長沢遺跡出土人面把手(とって) 長沢遺跡出土人面把手(とって) 第2次調査で出土した人面の描かれた土器です。
    ここに住んでいた縄文人たちの神の姿を表現したのでしょうか。
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