福生の俳諧

森田友昇

木造 森田友昇 坐像

 森田友昇は文政十二年(1829)、福生村の森田家に生まれました。横浜で商人として成功する傍ら、俳諧師としても活躍し、松尾芭蕉の流れを組む「松原庵」の四世となりました。一木造のこの坐像は、左手に短冊、右手に筆を持ち、八徳をまとい正座する俳諧宗匠森田友昇の姿を表現しています。福生市登録有形文化財に登録されています。
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『横浜地名案内』

 明治8年(1875)に刊行された森田友昇の著書本です。友昇は、横浜で生糸と海産物を扱う商人として成功し、俳諧師としても活躍しました。この書籍の内容は横浜の町を紹介していく地名尽くしで、文章は調子の整った五七調で書かれています。児童の啓蒙や、商用の来訪者のための案内を目的としていました。
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『浅川集』

 『浅川集』は、明治12年(1879)秋に、森田友昇が「松原庵四世」を襲名したときの記念俳諧集で、翌年発行されました。嗣号の披露は俳諧宗匠にとって重要な行事で、『浅川集』の撰集には自由民権運動の指導者の石坂昌孝、俳諧宗匠の三森幹雄、女流画家の奥原晴湖など、多方面にわたる文化人が携わっています。

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森田友昇 発句短冊

 森田友昇の肉筆短冊です。書籍等で友昇の作品を目にすることはありますが、肉筆は極めて稀です。多摩と横浜を中心にして俳諧活動を行なっていた森田友昇は、明治期の俳壇にその名を残しましたが、明治十八年(1885)に57歳でこの世を去りました。その墓は横浜市保土ヶ谷区の浄土宗見光寺にあります。

「誉声は皆か玉屋の花火かな 友昇」

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木造 松尾芭蕉 坐像

 森田友昇の生家である森田家に伝わっていた松尾芭蕉の坐像です。

 森田家は江戸時代に私塾「中福生大学」という寺子屋を開設していたと伝えられ、村内子弟の教育に尽くしました。この坐像の制作年代は定かではありませんが、森田友昇が松尾芭蕉を俳諧の師として存在していたことを示す資料といえるでしょう。

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